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Interview 広島で叶えたぶどう農家の夢。支えてくれたのは家族、そして人のあたたかさ(ラピア・ゲータンさん:カナダ出身)

自身が育てる畑の前で微笑むラピアさん

広島に移り住み、様々な分野で活躍する G7各国出身の「人」にフォーカスする企画「リレーインタビュー Our Life, Our Hiroshima」。

フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ各国それぞれ異なるバックグラウンドを持つ方々の目から見た広島での暮らしや、広島が持つ魅力をお届けします。

広島県のほぼ中央に位置する世羅町(せらちょう)は、果物や米の栽培が盛んなのどかな町。2012年、夫婦でこの地に移住してきたカナダ出身のラピア・ゲータン(Gaetan Lapierre)さんは、広島のぶどうに魅せられて農業を志したといいます。広島に移住したからこそ手に入れた理想の暮らしや、農業の魅力について伺いました。

ライター:石垣久美子 撮影:浅野堅一 編集:丸田武史(CINRA. Inc,)

一粒のピオーネが導いた農業への道

ラピアさんが広島に移住したきっかけを教えてください。

薪がたくさんある家の前でインタビューに応えるラピアさん

ラピア:日本旅行がきっかけで広島出身の妻と出会い、遠距離恋愛をしていたのですが、結婚を機に故郷のカナダから広島市に移住することを考え始めました。

カナダでは日本のみかんを「クリスマスオレンジ」と呼んでいて、クリスマスの時期に温州みかんを食べる風習があるんです。そのため日本の果物は子どもの頃から身近で、甘くてとても美味しいもの、というイメージがありました。

どのような流れで、ぶどう農家を目指すようになったんですか?

ラピア:広島に住みはじめて間もなく、広島県産のぶどう“ピオーネ”を口にして、そのあまりの美味しさに感動したんです。大粒で驚くほど甘く、種もない。カナダでは小粒で酸味のあるぶどうが一般的でしたから、ピオーネの美味しさはカルチャーショックでした。

もともと私は技術者で農業は未経験でしたが、この体験がきっかけとなって「いつか自分もこんな美味しいぶどうを作りたい」と、日本でぶどう農家になる夢が生まれたんです。

農業初心者を育てる支援の輪

現在、ラピアさんは世羅町でぶどう農園「ラピアビンヤード」を経営されていますが、なぜこの町を選んだのですか?

畑作業のため、スコップで土を運ぶラピアさん

ラピア:日本でぶどう農家をすると決めたものの、未経験者を受け入れて就農支援をしてくれる自治体はなかなか見つかりませんでした。そんな中、当時、ぶどう栽培に力を入れはじめていた世羅町は、農業研修制度を設けていて、ぶどうを育てるための知識や技術はもちろん、農家をするための様々なノウハウをしっかり学ぶ体制があったんです。

当時の世羅町には外国人の移住者はほとんどいなくて、地域の人にとって私は珍しい存在だったと思いますが、役場の方は農業をしたいという私たち夫婦の思いをサポートしてくれました。

農業研修を通じて地元の農家の方たちと親しくなったり、地域に馴染むきっかけになったり。今では世羅ぶどう生産組合の仲間たちとバーベキューをしたり、旅行に行ったりするほどです。

そのほか、世羅町に移住してよかったことはありますか?

ラピア:実は私の故郷であるカナダ・アルバータ州のヒントンと世羅町は、どちらも森や山が多く、雰囲気がよく似ているんです。カナダはとても寒いので気候こそ違いますが、私にとって世羅町はホームタウンのような親しみやすさがあります。

また、私たちには子どもが4人いますが、世羅町の子育て支援にはとても助けられました。地域全体で子どもを大切に育てていこうという考えが浸透していて、マタニティ教室や子育て世帯向けのイベントも充実している。夫婦二人だけで移住してきた私たちですが、おかげで孤立することなく、地域の人たちと助け合いながらのびのび子育てできていると感じています。

農業を始めてみて、大変だったことは?

ブドウの木にできた房を間引く作業をするラピアさん

ラピア:2014年から自分たちの育てたぶどうの販売をはじめましたが、最初はうまく育てることができずに苦労しました。

果物の栽培は、手間ひまのかかる作業の連続。ひとつの木にたくさんの房がなっては美味しいぶどうができないので、育てる過程で粒や房を間引いて調節します。葉が生い茂った状態も病気の原因になるので、盆栽のように枝や葉をきれいに整えなくてはいけません。すべて手作業で大変ですが、甘くておいしいぶどうを作るのに必要なことなんです。

少しずつ縮まったローカルとの距離

10年以上住んでみて、広島にどんな印象を持っていますか?

広島に来た当時の話をするラピアさん

ラピア:広島には自然のあらゆる魅力が揃っていると思っています。ここには海も山も川も湖もあり、四季の美しさがある。夏の厳しい暑さや、雪が降るほど寒い冬も、美味しい果物を育む自然の豊かさだと思います。

そして初めて広島を旅行した時から今に至るまで変わらず感じているのが、広島の人たちのあたたかさです。旅行で広島を訪れた夜、友人たちとどこかでお酒を飲みたくて、道行くサラリーマンにおすすめのお店を尋ねました。すると、その人は親切にも私たちをお店に案内してくれて、その上、初対面の私たち全員にお酒をご馳走してくれたんです。そのホスピタリティーに、私たち全員がとても感激しました。

農家を始めてからも、カナダ人の農家ということで顔を覚えてくれる人も多く、産直市などで対面販売をさせてもらうと、わざわざ立ち寄ってくれる方や応援してくれるお客様もいて、とてもありがたいです。

日本人は外国人というとフレンドリーで陽気なイメージがあるかもしれませんが、私はどちらかというとシャイでおしゃべりも得意ではない(笑)。最初はお客さんと話すのも緊張していましたが、人前に出ることを勧めてくれた妻と、あたたかく接してくれる広島の人たちのおかげでだんだんと慣れることができました。

慣れない土地で苦労したこともあったのでは?

ラピア:広島特有のことではないですが、最初の頃は日本人独特の遠回しな表現や、”空気を読む”ということができず、本音と建前の区別がつかず苦労しました。そんな時は、妻が私と地域の方との間に入ってくれて、相手が何を言おうとしているのかを教えてくれました。

世羅町は広島市内に比べて地域の行事や催しが多いと思いますが、参加して一緒に何かすることで、地域の文化や考え方が分かってきたと思います。

家族を優先できる幸せな暮らし

農家をしていて、よかったと思うことはどんなところですか?

インタビュー中、「家族が一番大事」と話すラピアさん

ラピア:私にとって家族と過ごすことが人生で何よりも大切な時間なので、子供と過ごす時間が多くとれることは嬉しいです。農家の仕事は楽ではないですが、あくまで自分が代表であるので、仕事や時間の調整ができることは気に入っています。

ただ、日本では「お父さんは仕事、お母さんが子育て」という考えも根強いですよね。カナダではお父さんとお母さんの役割に違いはなく、「家族が一番大事」という考えが一般的なので、そこに大きなギャップを感じました。

今後、農業で挑戦してみたいことはありますか?

自分で作ったブドウを笑顔で持つラピアさん

ラピア:将来は、ワイン用のぶどうを栽培して、ワイナリーを作りたいと考えています。現在、家族で暮らしている古い日本家屋にはとても素敵な蔵があるので、将来はそこをテイスティングルームやワインの保管庫に活用したいと夢を膨らませています。

とはいえ、それは子供達が大きくなってからのもっとずっと先の話です。近い目標として、最近は自然をより良い状態に再生するリジェネラティブ(Regenerative)な農業を研究していて。果物は病気になりやすく、オーガニックなぶどう栽培は簡単ではありませんが、昨年からは農園に撒く除草剤をやめるなどして、今はちょうど土づくりから勉強しなおしています。

プロフィールProfile

ラピア・ゲータン
カナダ西部のアルバータ州ヒントン出身。2012年に日本人の妻とともに世羅町に移住。その後、就農支援制度「世羅産業創造大学」を活用して農業やぶどう栽培を学ぶ。現在は4人の子どもを育てながら、ぶどう農園「ラピアビンヤード」を営んでいる。ピオーネやシャインマスカットなど18品種のぶどうと、10品種の桃を生産する。

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