プロフィールProfile
ポール・ウォルシュ
株式会社JizoHat代表、「Get Hiroshima」編集長。26年前、広島に恋をして、イギリスから移り住む。過去の凄惨な出来事に反して広島の人々の欧米人への偏見の少なさや、発展した広島の街に感動を覚える。しかし移り住むと英語での生活情報が少なく、苦労をした。その体験が元になり、情報発信サイトを立ち上げ、後にフリーマガジンへと発展した。今は自身の会社を立ち上げ、英語での発信について地方自治体向けのコンサルティングを行なっている。
広島に移り住み、様々な分野で活躍する G7各国出身の「人」にフォーカスする企画「リレーインタビュー Our Life, Our Hiroshima」。
フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ各国それぞれ異なるバックグラウンドを持つ方々の目から見た広島での暮らしや、広島が持つ魅力をお届けします。
イギリス出身のポール・ウォルシュ(Paul Walsh)さんは、外国人向けの広島のローカル情報サイト「Get Hiroshima」の編集長を務めています。広島には1年だけ滞在するつもりが、今年で在住27年目。すっかり広島のファンとなった今、「本当に好きになるまでには、少し時間がかかった」と話す理由とは?
ライター:中道薫 撮影:浅野堅一 編集:丸田武史(CINRA. Inc,)
ポール:来日してから30年以上、広島での暮らしも2023年3月で27年目に入ります。母国のイギリスより日本での暮らしが長くなりました。実は、初めて日本に来たきっかけは、大学時代にたまたま応募した作文コンテスト。証券会社が開催していたその作文コンテストの副賞として、東京で3週間の研修を受ける機会を得ました。
次に日本に来たのは就職の時です。「JETプログラム(以下JET ※)」という、主に英語圏の国に住む参加者がALT(外国語指導助手)などとして、日本各地で働く国際交流プログラムを知り応募しました。東京や大阪のような大都市ではなく、地方に配属される可能性が高いことも魅力で、1度目とは違う日本を体験できるチャンスに非常にワクワクしました。
結果、私の任地は大分県の別府市で、ここでの生活が気に入って3年暮らしました。JET参加者の交流は活発で、アメリカからJETに参加していた妻とも大分で出会いましたし、同期の仲間たち4〜5人が、今は私と同じ広島市内に住んでいます。
ポール:JETの仕事を終え、一度はイギリスに帰国しました。妻と一緒に別の国でのワーキングホリデーを計画していたので、資金を貯めようと思っていたら、偶然新聞広告で広島の英会話学校の求人を見つけたんです。それで広島に来て、資金が貯まったら次の国に旅立つはずが、気づいたらもう26年も経っちゃいました(笑)。
ポール:広島は自然が身近にあって、走るにも泳ぐにもいい環境ですから、マラソンやトライアスロンなどのスポーツを満喫しました。川沿いを自転車で走ると、すごく気持ちがいいんですよ。
広島に住み始めて3年くらいたった頃、妻と始めたのが今、編集長を務めている「Get Hiroshima」という英語の広島ローカル情報サイトです。
ポール:これは今でも感じていることですが、広島の魅力は、ちょっとだけ見つけにくい。
実は、広島の第一印象はあまり良くなかったんです。まだ大分に住んでいた頃、一度だけ夫婦で広島を旅行しましたが、なんとその日は土砂降りの雨。平和資料館や宮島など、定番の観光スポットをいくつか訪れましたが、私たちは名物のお好み焼きさえ食べられずに帰ってきたのです。なぜなら、外国人がアクセスしやすい外国語のメディアがとても少なかったから。
そして広島に移住してからも、最初はどこで飲んで、食べて、遊んだらいいのかわかりませんでした。ただ「Get Hiroshima」の仕事をきっかけに、自発的に広島の街の楽しさやおもしろさを探す中で徐々に広島への愛が芽生えてきたんです。たくさんの人々と出会い、広島の街との繋がりが深まっていったと感じます。
ポール:「Get Hiroshima」を始めた2000年頃から、広島に新しくヨーロピアンスタイルのカフェやバーが増え始めたので、情報収集のためにカフェやイベントに足を運んでは、在住外国人の方々がより広島を楽しめるような情報を探しました。
自分が旅するとき、その街に暮らす人がどんなものを食べて、どんな遊びをしているか。そういうローカル情報に興味があったから、「Get Hiroshima」は観光パンフレットよりも、タウン誌を目指しました。これは行政ではなく、私たちにしかできないことだと思ったんです。
ポール:個人的に印象深いのは、「Koba」というバーです。店主のBOMさんは外国人が気楽に入れるバーがまだ少ない2000年頃から、誰もが楽しめる場を提供してくれている日本人バーテンダーです。
外国人が平和資料館を出たあとって、複雑な気持ちを抱いているはずなんです。特にアメリカ人は。そんなときに「Koba」に行くと、BOMさんが「広島に来てくれてありがとう。いろいろあるけど、とりあえず乾杯しましょう」と全力で歓迎してくれる。それは、彼が英語をまったく話せないころから変わりません。それでどんどん外国人の間で人気が出て、今や世界中にファンがいます。
先日も「Koba」で会ったフィンランドから来た方は、8回目の広島旅行だと言っていました。小さなバーですが、そうした魅力的なお店が広島にもたらす経済効果は非常に大きいと思います。私は、2018年にJizoHatという会社を立ち上げ、インバウンド観光関連のコンサルティングも手掛けているのですが、そこでは必ず「広島では、まずKobaというお店に行って、もてなし方を見てみてください」とアドバイスしています。
ポール:外国人にとって「子育てしやすい街」ということでしょうか。イギリスに比べて保育環境が整っているということ以上に、広島の歴史的背景や平和教育、広島の人たちの外国人への親切な姿勢は、欧米の子どもたちが広島で教育を受ける価値につながると感じます。
広島は原爆の歴史を持つ “特別な街“ です。常に意識しているわけではないですが、そういった歴史的な背景に思いを馳せるたびに、何気ない生活のすべてに意味を感じられるのです。
ポール:私には20歳と16歳の子どもがいて、ずっと広島の学校に通っていますが、周りから差別的な扱いを受けたことはないそうです。それはたぶん、諸外国では考えられません。ダイバーシティを掲げずともこうした社会を実現できたのは、広島の平和教育の成果かもしれないと感じます。
海外の人々が広島に持つイメージがきのこ雲ばかりであることは、ネガティブな面もあるかもしれませんが、代わりに「ヒロシマ」という言葉と場所にパワーが宿っている。自分たちの街がどれほどのパワーを持っているか、地元の人たちはあまり気づいていないようですが、今回のG7サミットが広島で開かれるように、世界中から注目されているのです。
ポール:最近、広島は移住者を増やすPRに力を入れて成果を出し始めていますが、この対象を外国人にも広げられたらいいですよね。日本は全国的に人口が減少していますし、海外の方の持つスキルや力をもっと積極的に借りるようになれば、社会全体がよくなるはずです。そして、広島で暮らす外国人のポテンシャルを引き出せるように、もっと多様なキャリアを選べるようになったら今よりもっと暮らしやすいと思います。
ポール:できる仕事が限られてしまっているせいで、帰らざるを得なくなった人をたくさん見てきました。私もキャリアの出発点がALTですが、英語教育は最もビザを取りやすい仕事である反面、一生語学の仕事だけに縛られてしまうのは、プロフェッショナルに英語教育のキャリアを志す人以外には、厳しい環境とも言えます。
日本で英語教育に携わる外国人の中には、実は自国で一流デザイナーとして働いていた方もいたりします。外国人だから英語スキルばかりが求められて、他の才能やスキル、経験を生かせる場がないのは、あまりにももったいない。だから、ぜひ彼らのキャリアや生活をサポートして、私のように長く日本に住めるような状況をもっと積極的につくっていってもらえたら嬉しいですね。
ポール・ウォルシュ
株式会社JizoHat代表、「Get Hiroshima」編集長。26年前、広島に恋をして、イギリスから移り住む。過去の凄惨な出来事に反して広島の人々の欧米人への偏見の少なさや、発展した広島の街に感動を覚える。しかし移り住むと英語での生活情報が少なく、苦労をした。その体験が元になり、情報発信サイトを立ち上げ、後にフリーマガジンへと発展した。今は自身の会社を立ち上げ、英語での発信について地方自治体向けのコンサルティングを行なっている。